私がよくセミナーで通っている文京区の近くに講道館があります。建物は近代的なビルディングになっており、なんとなく昔風の建物を想像していますと少し期待外れになります。
入り口には創始者嘉納治五郎師範の銅像が設置されています。
建物内は当然道場もありますが、2階には資料室が設けられ一般公開されています。
私は柔道はあまり関わっておりませんでしたが、昔のテレビで三船十段が小柄な体で大男を軽く投げ飛ばしている番組を見た記憶があります。
歴代の十段の師範者の写真が師範室に15~16人飾られていましたが、その中に2人六段の人が飾られていたので不思議に思い、紹介文を読みますと、日露戦争時代に軍神と言われた広瀬武夫中佐と湯浅竹次郎少佐でした。

講道館

講道館創始者 嘉納治五郎
日露戦争時代に旅順港に逃げ込んでいたロシア艦隊を、湾内に閉じ込める作戦を指揮して壮絶な戦死をした2人でした。この、旅順港閉塞作戦は第一次から第三次まで決行され多くの日本軍将兵が戦死をしましたが、結局作戦は実らず、乃木将軍の率いる陸軍が苦難の末、旅順港を見下ろす203高地からロシア艦隊を観測し砲撃を加えて全滅させた歴史上の話しを思い出しました。
当時、日露戦争では何十万もの日本軍将兵が命を落とし辛うじて勝利を収めたことになっていますが、兵員物資の補給が乏しい日本軍がそのまま続けていれば、その勝利も危ういものになっていたことも事実だったようです。
もし、日露戦争に日本が負けていればこの東京にロシア国旗が掲揚され、あちこちの主だった港にはロシアの軍港が設けられ全く違った日本になっていたことでしょう。
講道館のすぐ近くの後楽園では名物のジェットコースターが走り回っており、いつも黄色い悲鳴が聞こえ平和な日常ですが、もし日露戦争に負けていればこのような平和を甘受することも無かったことと思います。
我々は極寒の地で命を懸け、また命を落としたおびただしい日本軍将兵に心からの感謝と哀悼の気持ちを忘れてはならないと同時に、平和は理屈ではなく力でしか守れないと云うことを肝に銘じなければならないと思います。

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