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●銭形の親分も来た甘酒屋

私がお世話役をさせて頂いている「大國之宮」神社の主祭神は「大黒様」ですが、東京の神田明神も日本一の「大黒様」の石像で有名なところです。文京区に仕事で行った際にすぐ近くに神田明神がありますので8月の猛暑の続く日に寄ってみました。

『神田明神』神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内など日本の経済の中枢を守っている氏神様

          日本一の大黒様の石像


その日も朝から汗が噴き出るような暑い日で木陰をさがしながら歩くようでした。コンクリートの上は5分も歩くと倒れそうなくらい酷い暑さでした。全身汗だくになりながら神田明神の入り口に着きますと、大きな鳥居のすぐ横に蔦の絡まる昔から建っているような『甘酒屋』の看板が目に入りました。神田明神の入り口に本当にふさわしい風情のある建物でした。「うわー、絶対あの店に入らなければ・・・きっと、冷たくおいしい甘酒があるに違いない。」と思いながらのれんをくぐりました。店の中はひんやりとエアコンが効いていましたが、年代物の装飾品が店のあちこちに飾られ、相当古くからこの店は続いているのを感じました。

  壁に飾ってあった色紙

お年をかなり召したエプロン姿のおばあさんが「いらっしゃい。」と冷たい麦茶を運んでくれました。麦茶をいただきながらふと横の窓際に目をやりますと、なんと「銭形の親分も来た甘酒屋」と書いた色紙が貼ってありました。

 

境内で見つけた銭形平次のお墓

「おお!おばあちゃん、ここに銭形平次も来てたんですか?」と聞きますと、「そうよ。」と何度もお客さんに質問され慣れたようにさらっと返事をしてくれました。

「へえ~、銭形平次って本当にいたんだ・・・。」と歴史に余り詳しくない私はすっかり銭形平次親分と一緒に甘酒を飲んでいる気分になってしまいました。


ふと、店の奥に目をやりますと今度は『八十五歳 実篤』と書いた大きな額が目に入りました。「わあ~、おばあちゃん、あの額は武者小路実篤の直筆ですか?」と聞きますと、「そうよ。私が娘の時にこの店に来て書いてくれたの。」と懐かしそうに話してくれました。

私は中学生の頃、よく読んだ武者小路実篤が急に身近に感じられ、当時の本の内容が急に思い起こされました。その中の随筆集にこんな一文がありました。

『孫と一緒に散歩に出かけようと、縁側に孫を腰掛けさせ靴を履かせようとした。孫の小さい柔らかい足が靴になかなか入らない。少しいらついてきた私はつい、「なんていう靴だ。」とつぶやくと孫が「うんどうぐつ!」と教えてくれた。私は参ったと思った。』こんな一節でした。

お店の中でいろいろな飾り物を見せて貰いながら、お話しを聞いておりますと、この店は300年以上も前からあるとのこと。江戸の大火や関東大震災、空襲と何度も焼かれてその都度建て直して今日に至っているとのことでした。中庭の焼けた大きな石を見せてくれながら庭師さんが立派な石なので裏返しにしてきれいな面を上にして置き直してくれたとのこと。

帰りの途についた私は新幹線の中で今日の出来事を思い起こしてみますと、何か違和感を感じます。「う~ん。銭形平次って人は本当に実在した人なのかなあ・・・。」と急に疑問が湧いてきましたのですぐにグーグル先生に教えて貰いました。すると・・「銭形平次(ぜにがたへいじ)は、1966年5月4日-1984年4月4日まで、フジテレビ系列で毎週水曜20時から放映された連続テレビ時代劇。野村胡堂の小説『銭形平次 捕物控』をテレビドラマ化したもの。恋女房のお静と神田明神の近くに住んでいた・・・。」とのこと。

「うわっ、あのおばあちゃんにすっかりだまされてしまった。」でもいっときだまされて楽しい雰囲気を味わうことが出来、あの古い茶屋のユーモアに何かホッとする思いでした。でもきっと小説の中に甘酒屋「天野屋」が出てきて銭形の親分が甘酒を飲んでいたのでしょう。

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